AIを使えば、かなり多くのことを知ることができるようになった。
分からないことを聞けば説明してくれる。
コードも書いてくれる。
使ったことのないソフトウェアについても教えてくれる。
新しい技術が出てきても、概要を理解するまでの時間は以前よりずっと短い。
これはすごい変化だと思う。
一方で、最近もう一つ感じることがある。
AIによって知識へアクセスしやすくなるほど、
「知っていること」と「やったことがあること」の差が、むしろ大きくなっている。
ということだ。
知識は渡せても、経験はそのまま渡せない
例えば、ローカルLLMについて調べれば、
VRAMが重要であることも、
量子化とは何かも、
モデルによって必要なメモリ容量が違うことも、
すぐに分かる。
AIに聞けば、かなり丁寧に説明してくれる。
でも、
- 実際にモデルをダウンロードする。
- ロードしてみる。
- VRAMが足りなくなる。
- 量子化を変える。
- Contextを伸ばして、また足りなくなる。
- CPUへ一部を逃がしてみる。
- 思った以上に遅くなる。
- 別のモデルを試す。
こうしたことを何度も経験すると、
同じ「VRAM 32GB」という数字でも、見え方が変わってくる。
数字として知っているのではない。
「このくらいならいけそうだ」
「これは厳しそうだ」
という感覚が生まれる。
知識が、判断に変わっている。
AIは答えを教えてくれる。
でも、この感覚そのものを、そのまま渡すことはできない。
「使う」と「持つ」は、少し違う
クラウドサービスを使えば、多くのものを自分で所有する必要はない。
AIもそうだ。
サーバーもそうだ。
ソフトウェアもそうだ。
必要なときにアクセスできれば、多くの場合、それで十分だ。
これは合理的だと思う。
ただ、
使えることと、持って使い続けることは、同じ体験ではない。
自分でGPUを買う。
PCへ組み込む。
環境を作る。
モデルを入れる。
熱や電力のことを考える。
ストレージが足りなくなる。
構成を変える。
また試す。
所有すると、対象との関係が長くなる。
すると、今まで気にしていなかったことまで気になってくる。
これは計算資源に限った話ではない。
※計算資源を自前で所有することの歴史的・文化的背景については、AI時代に「計算資源を所有する」意味についてはこちら → でも詳しく掘り下げています。
自分のお金を入れると、景色が変わる
投資も少し似ている。
ある会社についてニュースを読むだけなら、それは数ある企業情報の一つだ。
でも、自分のお金でその会社の株を買うと、急に見え方が変わる。
決算が気になる。
競合企業も気になる。
経営者の発言を見る。
市場全体の変化まで見るようになる。
同じニュースを読んでいても、
情報の解像度が変わる。
自分のお金が入ったことで、対象が「自分ごと」になるからだ。
もちろん、お金を払えば自動的に理解が深まるわけではない。
高価なGPUを買っただけでAIに詳しくなるわけでもない。
重要なのは、
自分で選び、その結果を自分で引き受けること
なのだと思う。
なぜこれを選んだのか。
本当に必要だったのか。
何が足りないのか。
次はどうするのか。
そうした判断が積み重なって、経験になる。
経験には、「失敗」が含まれている
知識は、きれいに整理できる。
こうすると動く。
この設定が推奨。
このGPUならこのモデル。
でも、実際に使っていると、そんなにきれいにはいかない。
- 動かない。
- 思ったより遅い。
- 突然落ちる。
- バージョンを上げたら壊れる。
- ドライバとの相性が悪い。
- VRAMは足りているのに期待した速度が出ない。
- 別のソフトと組み合わせるとうまくいかない。
そして調べる。
設定を変える。
一つ戻す。
もう一度動かす。
この面倒な過程を通ることで、
「なぜそうなるのか」
が少しずつ分かってくる。
失敗は効率が悪い。
でも、
経験の多くは、この非効率な部分に蓄積されている。
AIが正しい答えへ素早く連れていってくれる時代だからこそ、これは意外と重要なのかもしれない。
リアルタイムで試せると、経験の密度が上がる
そして、手元に計算資源を持つ面白さの一つが、
その場で計算できること
にある。
例えばTouchDesignerで、
- カメラから映像を入れる。
- AIで人物を認識する。
- 認識結果を映像へ返す。
- 人が動く。
- 映像が変わる。
- それを見た人が、また違う動きをする。
- さらに映像が変わる。
ここでは、
入力して、
結果が出て、
それを見て、
また変える。
という往復がリアルタイムで起きる。
完成した映像を一度生成するのとは、かなり違う。
人とシステムの間に、
フィードバックループ
が生まれている。
そして、そのループを何度も回すことで、
- 「少し速すぎる」
- 「ここは遅れた方が気持ちいい」
- 「この動きには、この反応が合う」
という感覚が生まれる。
これはスペック表には書かれていない。
使ってみないと分からない。
※TouchDesignerやUnreal EngineをAIと組み合わせたリアルタイム環境の要件については、TouchDesigner × Unreal Engine × AI PCのリアルタイム制作環境を見る → で解説しています。
同じ道具でも、経験すると使い方が変わる
楽器も似ている。
同じギターを二人に渡しても、同じ音楽にはならない。
最初は操作方法を覚える。
そのうち、
どのくらい強く弾くか。
どこで間を取るか。
どんな音を好むか。
その人なりの癖が出てくる。
道具を長く使うことで、
道具そのものが変わるわけではない。
人の方が変わる。
計算資源も、少しそれに近づいているのかもしれない。
同じRTX 5090。
同じAIモデル。
同じTouchDesigner。
同じUnreal Engine。
それでも、
何を試したのか。
何と接続したのか。
どこで失敗したのか。
何を面白いと感じたのか。
によって、使い方は変わる。
ここに、その人らしさが出てくる。
AIモデルは共有できる。でも、その人の履歴は共有できない
AI時代には、多くのものがコピーできる。
- モデルはダウンロードできる。
- コードはコピーできる。
- プロンプトも共有できる。
- ワークフローも公開できる。
- ツールの組み合わせも真似できる。
でも、
その人がそこへ至るまでに何を試したのか。
何を失敗したのか。
何を捨てたのか。
何に違和感を持ったのか。
なぜその設定を選んだのか。
そこまでを完全にコピーすることは難しい。
つまり、
コピーできないのは、完成品ではなく、その人が通ってきた履歴なのかもしれない。
そして、その履歴が判断を作る。
審美眼を作る。
癖を作る。
次に何を試すかを決める。
それが、少しずつユニークネスになる。
「人の差」は、経験の蓄積から生まれる
AIによって技術の差が小さくなる。
これは悪いことではない。
むしろ、多くの人が作れるようになる。
ただ、みんなが同じ道具を使えるようになれば、
最後に差になるものも変わる。
どれだけ知識を持っているかだけではない。
どのAIを使っているかだけでもない。
その道具を使って、どんな経験をしてきたか。
その違いが大きくなる。
だから、AI時代に重要なのは、
「最新AIを使ったことがある」
ことだけではないのだと思う。
触る。
壊す。
直す。
つなぐ。
反応を見る。
違和感を覚える。
また変える。
その繰り返しによって、
知識が経験になり、
経験が判断になる。
※蓄積された経験が、身体や空間といった「クラウドの外側の摩擦」を通じてどう独自の表現へ昇華されるかについては、AIの知性はクラウドへ。オリジナリティは、その外側へ。 → で論じています。
所有すること自体が目的ではない
だからといって、すべてを所有すべきだという話ではない。
クラウドの方が合理的なことは多い。
巨大なモデルを一時的に使うなら、クラウドGPUの方がいい。
ChatGPTやClaudeのようなサービスは、非常に便利だ。
必要なものすべてを、自宅へ置く必要はない。
重要なのは、
所有かクラウドかという二択ではなく、
どの領域を、自分の経験として蓄積したいのか
なのではないかと思う。
たまにしか使わないものは借りる。
深く掘りたいものは手元へ置く。
自分が何度も試す領域には、摩擦の少ない環境を作る。
そう考えると、計算資源への投資の意味も少し変わる。
※クラウドとローカルPCの使い分けや、どのような作業で手元所有が合理的になるかについては、クラウドで十分な時代に、なぜハイスペックPCを買うのか → を参照してください。
AI時代の計算資源は、「経験を蓄積する環境」になる
AIは、知識へのアクセスを民主化した。
技術へのアクセスも民主化しつつある。
誰でもかなり高度なものを作れるようになっていく。
だからこそ、
その人自身が何を経験したのか
ということの価値が、逆に上がっていくのかもしれない。
AIは共有できる。
コードも共有できる。
知識も共有できる。
でも、経験はそのまま共有できない。
自分で選ぶ。
自分で試す。
失敗する。
リアルタイムに反応を見る。
また変える。
そうやって蓄積された経験が、
その人にしかない判断を作っていく。
AI時代に計算資源を持つ意味は、
最高性能を所有することではない。
自分にしか蓄積できない経験を、何度でも作れる環境を持つこと。
そこにあるのかもしれない。
この記事は「AI時代の制作環境論」第2章「計算資源を持つということ」のEDITOR'S NOTEです。計算資源を持つ意味から、その環境で蓄積される経験、そして身体・空間・オリジナリティへと続く流れをシリーズ全体で整理しています。